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[俳優 浜田光夫さん]「バンビの目」にガラス破片、医者に「役者ですから、目を残してください」と叫んだ(読売新聞(ヨミドクター)) - Yahoo!ニュース

一病息災

 小学生の時から子役として映画に出ていたが、脚光を浴びるようになったのは、18歳で出演した映画「キューポラのある街」(1962年)がきっかけだ。鋳物の町、埼玉県川口市を舞台にした青春ドラマで、主人公を女優の吉永小百合さんが演じた。

 アクション映画の隆盛に陰りが見えた時期、清新な吉永・浜田コンビの青春・純愛路線の映画が人気を集め、次々と作品が作られた。難病で亡くなる恋人との愛を描いた「愛と死をみつめて」など映画はヒットを続けた。

 「アクションは男性が中心ですけど、純愛ものは女性が主役。小百合さんがピッチャーで、速球のお芝居を後にそらさないように受けるのが僕の仕事でした」

 共演は40作品以上に及んだ。吉永さんの存在は大きかったが、自身も目が印象的な若者で、ファンからは「バンビの目」と呼ばれ、愛された。

 66年7月、撮影の合間に、愛知県で開かれた水上スキーなどの大会に招かれた。その夜、名古屋で先輩俳優と一緒に飲んでいた。店には誕生会を開いている男性がいたが、「浜田光夫よ!」と女性たちがこっちのテーブルに来てしまった。

 先輩と連れだってトイレから出てくると、ガシャンとガラスが砕ける音がして、右目が見えなくなった。先ほどの男性が腹を立てて、先輩の顔を店の電気スタンドで殴りつけ、割れた破片が右目に刺さったのだ。バンビの目に。

石原プロで酒仕込まれる

 1966年7月、けんかを仕掛けられ、右目にガラスの破片が刺さり、救急車で名古屋大病院に運ばれた。「目を取っちゃった方がいいかな」という医師の言葉に、「役者ですから、ぜひ、目を残してください」と叫ぶように訴えた。

 8時間かけて、32針を縫った。入院3か月で包帯は外れたが、光は感じても、視力は失われた。照明などの光がまぶしく、サングラスがいる。そして黒目に白濁が残った。

 「俳優としては致命的でした。声優になることも考えました」。昭和30年代、映画は最大の娯楽だった。その時代の青春スターが、売り物の目を傷つけられたのだ。

 入院は8か月に及ぶ。映画人たちは退院を待って応援してくれた。67年の復帰第1作「君は恋人」には、石原裕次郎、小林旭、坂本九……大スターが大勢出演した。「周りの人に叱咤(しった)激励され、照明にも気を使ってもらって、どうにかやることができました」

 娯楽の中心はテレビへと変わりつつあった。間もなく映画会社の日活から裕次郎さんの石原プロに移籍した。それが、後の急性膵炎にも影響していると思う。

 撮影所で会った時、あこがれの裕次郎さんに言われた。「家が近いそうじゃないか、遊びにおいで」。何度もお邪魔した。「浜田、ピッチが遅いぞ」。高級ウイスキーが次から次へと出てくる。お酒は大好きだったが、石原プロで徹底的に仕込まれた。

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April 12, 2020 at 05:11AM
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