新型コロナウイルス騒動はいまだ治まらず、人類に未来はあるのかという状況ですが、こういうときはエンターテインメントが一番。前回同様、明るい話でご機嫌を伺いたいと思います。
引き続き、「薪割り流・薪割り大五郎」の一席でございますが、その前に、時は平成5年、西暦1993年師走9日、将棋界に起こった一大センセーションを、予備情報として知っておいていただこうと思います。ベベンベン!! それは、将棋界史上初めて女流棋士が男性棋士に勝ったという、文字どおりの大快挙を成し遂げたという出来事。
女流棋士が男性棋戦に参加できるようになったのは昭和56年(1981年)からで、以来、38連敗。男性棋士の壁はとてつもなく厚く、高かったのでございます。例えて言えば、"猫と鼠"ぐらいの実力差。それが苦節12年、ついに壁に穴を開けたのでありました。しかも、相手は六段で持ち時間は5時間という長丁場の対局。勝利は決してフロックではないのですお立ち会い! このニュースは当時、NHKでも取り上げられるほどで、世間からも大きな注目を集めたのでありました。
さて、その女流棋士とは誰か、何を隠そう引っ掻こう、時の女流名人「中井広恵(現・女流六段)」その人でありま~す。と、ここまでが予備情報。話はいよいよ本題に入るのでありま~す。
一大センセーションから年が明け、時は平成6年、西暦1994年神無月(10月)3日、武州・千駄ヶ谷村での出来事。この日、一人の女流棋士が男性棋士との対局を迎えていました。女流棋士が男性棋士に勝った話はまだその温かさが残っており、ファンはもちろん世間も注目しているところであります。また、世間は常に新しい話題を求め続けるもの。女流棋士には次に、高段の棋士に勝ってほしいとの希望が託されていたのです。
この日、その女流棋士の相手の段位は「九段」。棋界最高峰の段位です。もし勝利すれば、初勝利以上のニュースとなるは必定。世の中は上を下への大騒ぎになることでしょう、ベベンベン!
ちなみに、対戦の組み合わせは厳正なる抽選で行なわれ、作為・忖度(そんたく)・恣意(しい)という要素が入り込む余地はほとんどありません。
そうして対局者となった不幸な(おっと、失言)男性棋士は誰か、それがこの人、我らが"お茶目キャラ"、「佐藤大五郎九段」その人であったのです!!
ここでちょっと話は逸れますが、当時の男性棋士には女流棋士との対局を嫌がる傾向がありました。理由は、「勝って当たり前、負ければ何を言われるか分からない」というネガティブ心理。将棋界が世間から注目されるのは良いことでも、負けた棋士の立場になってみると、名誉や自尊心など諸々が"ズタボロフェアー"になるからであります。
ところで、将棋は勝とうとすると身体に大きな負担がかかります。昔、大山康晴十五世名人が24時間測定できる血圧計を付けて対局に臨み、1日の血圧の変動調査を行なったことがあります。その結果、対局がクライマックスを迎えたとき、急激な血圧の上昇が見られ、その状態が長く続くということが科学的に証明されました。人間、歳を重ねればあちこちがクタビレてきます。特に高血圧は健康の大敵。歳を取ってからの対局では、毎回々々、全力投球というわけにはいかなくなるのです(読者の皆さんもそうでしょ?)。
我らが大五郎九段もこの対局時、あと13日で御歳58歳になろうというところ。高血圧を抱えており、ほかにもいくつかの持病がありました。半面、相手の女流棋士は25歳。何もかも人生で一番素晴らしい時期、その真っ只中におったのです。
そういう背景があっての大五郎九段の対局。気楽に指したいものの、もし負ければ"女流棋士に負けた高段者棋士の第一号"となり、永遠に歴史に刻まれてしまいます。また、高血圧を負けた理由にするわけにはいきません。否応なく全力投球をせざるを得ない状況であったのです。
通常、棋士は対局の日程が決まると対戦相手の棋譜を入念に調べます。しかし、大五郎九段はそこまではしなかったと察しますが、女流棋士は調べてきたのではないでしょうか。この年、平成6年4月から9月までの大五郎九段の成績は4勝8敗。これらの棋譜を見て女流棋士が自信を持ったのは容易に推察できるところ。軽くひとヒネリだワ、とね。しかし、この日の大五郎九段はまるで別人だったのであります。
「薪割り流」とか「薪割り大五郎」と聞くと豪快で荒っぽいイメージを持ち、実際、大五郎九段にはそういう面もありました。ですが、「繊細で緻密」という一面もあったのです(私はこれがホントの素顔だと思っています)。
定刻10時、大五郎九段の先手で開局となり、大五郎九段の四間飛車対女流棋士の居飛車という対抗形で進行。以下、途中は割愛させていただきますが、夕方になって局面は大五郎九段の優勢となって第1図を迎えたのであります。
【第1図は△4五歩まで】
そして、ここからの大五郎九段の指し回しは、まるで猫が鼠をいたぶっているように見えたのでありました! (失礼な表現でゴメンナサイ)。
二人は初対局で、大五郎九段にとっては相手の出方が分からないため、手探り状態で指してきたはず。しかし、盤を挟んで数時間、おぼろげながら相手の力量が分かってきたのです。それを見切った大五郎九段、ついに第1図で持ち前の"茶目っ気"を発揮したから面白い、ベベンベン!!
「この歩は取る一手か......」独り言にしてはちょっと大きな声。そして4五の歩を取るそぶりさえ見せるニクイ演出。言葉と所作のWアクションが相手の心理に波を立てます。女流棋士の手は無意識に駒台の角に触れるほど! (第1図で▲4五同歩は、△6四角の王手飛車でオワ)。
これは後日談ですが、大五郎九段はこう言って喜んでおったそうな。
居合わせた棋士仲間に、キッ!! キッ!! 金星、金星。タイトル保持者様に勝ちました~!!」 と言って声を掛けて誘い、第1図の局面を並べて見せ、
「ここで俺は、"この歩は取る一手か!"と呟いたんだけど、これ、取ると思う~? ウヒャッヒャッヒャッ~!!」
と言って皆を笑わせていたとのこと。これは言外に、「俺を誰だと思っているんだ。見え見えの王手飛車なんか喰らうわけネェ~だろ~」と言っているのです。
なお、現在は対局中に独り言を言う人はいませんが(相手が離席中は別)、昔はおしゃべりも多く、楽しい時代だったのですネェ~。
オット、ちょ~ど時間となりました~。では、本日の「読み聴かせ」は♪ここ~ま~で♪、といつもならなるところではございますが、今回は特別高座(講座)! 第1図以降の"どうなったの?"も、要約してお聴かせいたしましょう~、ベベンベン~!
【第1図からの指し手】
▲6三飛成△5五角▲4七金直△6四飛(第2図)
【第2図は△6四飛まで】
- 第1図で▲4五同歩とするはずのない大五郎九段は、当然▲6三飛成。
- 以下、第2図の△6四飛は、女流棋士、"渾身の勝負手"。大五郎九段が優勢の局面とはいえ、ここで応手を誤るとたちまち形勢を損じるところ。
- △6四飛に対し、駒得に走る▲7三竜は△6六飛の竜・銀取りで事件勃発。
【第2図からの指し手】
▲5三竜△6六飛▲6七銀左△6四角(第3図)
【第3図は△6四角まで】
- よって、第2図では▲5三竜と角取りに寄るのが好手。
- 対して本譜は△6六飛ですが、この手で△6三桂の受けなら▲5六金で先手の完封勝ち。
【第3図からの指し手】
▲3三竜△同銀▲6六銀△4六歩▲3七金寄(第4図)
【第4図は△3金寄まで】
- ここまで細かい動きをしていた大五郎九段ですが、ころは良し、第3図で▲3三竜の強手を放ちます。
「緻密で繊細」な動きから一転、「豪快」な動きというところ。このように、将棋の強い人は緩急の使い分けが巧みなのです。 - 第4図となって、いつの間にか大五郎九段は大きな駒得に。逆に女流陣はバラバラというマイナスも。
人間の身体に例えると「出血多量」の状態。唯一の救いは手番を握っていることで、いつか△4五桂が利けばいいのですが......(第4図でそれを指すと、▲2五飛で打った桂が抜かれます)。 - 第1図から第4図まで、すべては大五郎九段の読み筋どおり進んでいるのです。
【第4図からの指し手】
△4七歩成▲同金上△5八飛▲3八飛△同飛成▲同銀△2七歩▲同玉△3九飛▲2九金△8九飛成▲6一飛(第5図)
【第5図は▲6一飛まで】
- 手順を尽くして攻める女流棋士ですが、大五郎九段の応手は的確、付け入る隙がありません。
- △8九飛成でついに女流棋士の攻めは一服。
- 直後、狙いすました「角・金」両取りの痛打、▲6一飛(第5図)が炸裂しました。
【第5図からの指し手】
△3七角成▲同金△3二金▲5四角(第6図)
【第6図は▲5四角まで】
- 大五郎九段の指し手は冴えに冴えます。第6図の▲5四角は攻防手ですが、比重は守りにあります。女流棋士からの反撃手段=△4五桂を事前に封じているのです。
【第6図からの指し手】
△4三桂▲9一飛成△3一桂▲8二竜△4二桂▲6三角成(第7図)
【第7図は▲6三角成まで】
- 第6図で、「いつでも▲3二角成と切りますよ」と言われ、攻めの速度に差がある女流棋士は△4三桂と受けますが、これは今度、女流棋士の攻防手。この手は守りに比重があるのではなく、次に△3五桂打の攻めを見ています。さすがにシタタカです。
- 対して、大五郎九段の▲9一飛成は、▲2三香の狙い。
- △3一桂はそれを防いだ手。
- こうして第7図になりますが、第6図と比べると後手の駒台はずいぶん寂しくなってしまいました。このように、相手に持ち駒を使わせることで、大五郎九段は相手の反撃の芽を摘んでいるのです。
【第7図からの指し手】
△6九竜▲4四歩△6八竜▲4三歩成△同桂▲4四歩△6六竜▲4三歩成△6三竜▲3二と△同玉▲5五桂(第8図)
【第8図は△5五桂まで】
- いよいよ大五郎九段は仕上げに入ります。▲4四歩から執拗に4三の地点を攻めるのが急所。その間、銀2枚と馬を取られますが、第8図となって女流棋士陣は風前の灯火になってしまいました。
- 普通は投了するところですが、この女流棋士には投げきれない理由があった気がします。
【第8図からの指し手】
△6七竜▲4三金△2二玉▲3三金△同玉▲2二角△同玉▲4二竜(最終図)
【最終図は▲4二竜まで】
- 第8図となっては女流棋士に勝ちはありません。勝つには「反則勝ち」か「大五郎九段の急死」しかありません。前者は、「緻密で繊細=用心深い」大五郎九段には望めませんし、後者もまずあり得ません。初代名人・大橋宗桂から始まった将棋の歴史、四百数十年の対局中に、「喀血」した人(江戸時代)と、「高血圧」のため救急車で運ばれた人(平成の時代)はいますが、「心臓麻痺」で亡くなった人は一人もいません。
- ではなぜ、女流棋士は指し継いだのか?
第1図に戻ってみましょう。ここで大五郎九段は、「この歩は取る一手か......」と呟き、4五の歩を取るそぶりさえ見せました。取れば△6四角の王手飛車。しかし、大五郎九段は当然、違う手を指します(第1図で▲6三飛成)。 - それを見て、女流棋士はからかわれたことに気づいたのだと思います。そして、それは怒りに変わったのでしょう。その気持ちがずっと、整理できないままでいたのではないかと思のです。
- その心情、私にもよく分かります。悔しいやら、恥ずかしいやら......トホホホホ~。
- それにしても、大五郎九段はヤッパリ強かったナァ~。
以上、「薪割り流・薪割り大五郎」のひと節、これにて読み切りとさせていただきます。
長らくのご静読、ありがとうございました。
追:あっそうそう、私と大五郎先輩の対戦成績は、3戦して私の3勝です。後輩思いの優しい先輩でもあるのですヨ。
前田九段の〝お目を拝借〞
ライター前田祐司九段
1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。 早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。 決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。
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August 04, 2020 at 02:47PM
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