先日書いた以下の記事は、かなり大きな反響がありました。
「ひえー、この記事がバズるとは思わなかった」
というのが筆者の素直な感想です。
「ひえー」は驚きを表現する言葉です。実際に使っている方も、少なからずおられるようです。ただし将棋界ほど話し言葉として頻繁に使われる業界は、やっぱりかなり珍しいでしょう。
筆者がいま手元で使えるデータベースにおいて、新聞観戦記上で最も早く「ひえー」という声が確認できるのはこちらです。
ネットやデータベースで「将棋 ひえ」などと検索しみると、おおよそ次のような知見が得られます。
・なるほど将棋界ではベテランから若手まで「ひえー」「ひぇー」「ひえっ」「ひええ」「ひょえー」などと驚いている人がとても多い。
・現在の東京・将棋会館4階には「飛燕」(ひえん)という名の対局室がある。
・将棋界には比江嶋(ひえじま)麻衣子さんという女流棋士がいた。(現在は藤田麻衣子さん。どうぶつしょうぎのデザイナーで、現在は将棋の活動は引退して多方面で活躍)
比江嶋さんの名からは「ひえーじままいこ」「ひえーじまった」「ひえーじまさん」などの言い回しのバリエーションが生まれました。ただし碓井涼子さん(現在は千葉涼子さん)の名にちなんだ「薄いりょうこ」と同様に、現在はあまり聞かれません。
比江嶋さん(藤田さん)は観戦記者として、次のようにも書いています。
観戦記者の椎名龍一さんは1993年に記者として将棋業界に携わるようになりました。その椎名さんに、この業界ではいつぐらいから「ひえー」は聞かれていたのか、尋ねてみました。
椎名「いつぐらいから言われ始めたのかはわからないけど、僕が入った頃にはもう、みんな言ってましたね。(1997年に)比江嶋さんが女流棋士になった時には、すぐに豊川さん(孝弘七段)が『ひえーじままいこ』って言ってました」
なるほど、という証言です。
椎名さん自身も観戦記の中で「ひえー」という声をよく紹介しています。例えば次の通りです。
形勢は既に森内八段(現九段)が優勢。そこで青野九段の苦しい意表の受けの手を指した見て、思わず口癖の「ひえー」という声が出そうになる。そこには驚き、安堵、その他様々な感情がこめられているのでしょう。
他の例も見てみましょう。
「ひえー」はたいていの場合、終盤の切羽詰まった状態の中で発せられる言葉です。だからその前後の記述も面白いわけです。そしてそれぞれの棋士の人となりを知っていれば、その棋士の声で「ひえー」という声が再生され、当時の情景が容易に想像できるでしょう。
念のために記しておくと、棋士のつぶやきが椎名さんなど観戦記者の頭の中で全部ひとくくりに「ひえー」と変換されている、というわけではありません。みんな文字通り、そう言っているわけです。
以上は比較的、若い世代の描写です。「ひえー」という言い方が現在、将棋界でここまで定着しているのは、羽生善治九段、佐藤康光九段、森内俊之九段らの世代が若い時からよく口にしていて、それを見た多くの後進、そのまた後進が自然と真似をして受け継いでいったからではないか・・・というのは筆者の推測です。
もちろんベテランも「ひえー」と言っています。
ぼやいている方が優勢、ということはよくあります。対局の結果は、青野九段の勝ちでした。
往年の名棋士の驚いたときの表現としては中原誠16世名人の「驚いたね」、そして加藤一二三九段が「うひょー」と叫んだという伝説なども有名です。それらの言葉をめぐる将棋史上の重要シーンについては、また稿を改めてご紹介できればと思います。
将棋はスリル、サスペンス、スペクタクルに満ちあふれたゲームです。百戦錬磨の大家、大先生であっても驚きを隠せない、想像を絶するような手が日常茶飯事で現れます。現在の将棋は戦国時代頃から指されています。おそらくは将棋が指し始められた頃から、人々は「ひえー」に類する言葉を叫び続けてきたでしょう。
将棋を指す人が「ひえー」と言い始めたのはいつなのか、完全に特定するのは難しそうです。雑なことを言えば、それは少なくとも「ひえーざん延暦寺」という言い回しがされ始めた昔にまでさかのぼりそうです。
後世「1世名人」の称号を贈られた初代大橋宗桂(1555-1634)は、もともとは京都の町人で、戦国時代から江戸時代初めまでを生きた人です。
伝説では織田信長から桂馬の使い方が上手いとほめられて「宗桂」を名乗ったということになっています。ただしその話は信頼できる資料の裏付けはなく、どうも後世の大橋家の人が、かなり盛って創作したエピソードのようです。
「織田信長は初代大橋宗桂と将棋で対局しながら『ひえーざん延暦寺』とつぶやいていた」
いまそんな創作をして流しても、あまり信じる人はいないでしょうが、もう数十年もすれば「諸説あります」という雑な断り書きとともに紹介されるかもしれません。
1571年、織田信長によって比叡山延暦寺が焼き討ちされた後、その監視などの目的で、家臣の明智光秀は坂本城を築きました。2018年、坂本城跡からは将棋の駒が発見されています。いま放映中の大河ドラマで明智光秀が将棋を指しながら「ひえーざん延暦寺」とか「本能寺、端の歩をつくひまはなし。端歩は心の余裕なり」などとつぶやくシーンが流されると、将棋クラスタ的には受けそうです。
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February 02, 2020 at 08:35PM
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羽生善治九段も「ひえー」と叫ぶし将棋界ではみんな「ひえー」と声にして驚くけれど、それはいつからか?(松本博文) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
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