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震災、不況、後継ぎ不足…塩釜・仲卸市場の存続危機に、異色キャリアの43歳経営者が立ち向かう【3.11】 - Business Insider Japan

1965年開設の「塩釜水産物仲卸市場」。震災、コロナ禍、そして店舗の後継者不足で岐路に立っている。

1965年開設の「塩釜水産物仲卸市場」。震災、コロナ禍、そして店舗の後継者不足で岐路に立っている。

提供:今野元博さん

宮城県塩釜市。ここに、地元の人々の胃袋を支える「市場」がある。

現在87店舗が軒を連ねる「塩釜水産物仲卸市場」だ。魚介類の専門店のほか、飲食店のテナントを誘致し、フードコートを整備。地場産の野菜や果物を扱うイベントも催し、「魚を売る市場」の枠を超えた場所づくりに取り組んでいる。

仕掛けたのは、東日本大震災後に衰退する市場を守ろうと地元の若手経営者らが組織した「塩釜仲卸市場ブリッジプロジェクト」だ。リーダーは水産卸売販売「海老今」3代目の今野元博さん(43)。

家業を継ぐ前は大手音楽レーベルや中国・上海の商業施設に関わる会社、国内のアウトレット運営会社で働くなど異色の経歴を持つ。

ピーク時には年間約100万人が訪れた仲卸市場だが、震災やコロナ禍、店舗の後継者不足で岐路に立っている。異業種で培った経験を活かし、地元経済を活性化しようと力を注ぐ今野さんの取り組みを聞いた。

ポニー・キャニオン、海外経験、アウトレット…異色のキャリアから“家業”へ


「塩釜仲卸市場ブリッジプロジェクト」のリーダー今野元博さん(43)は水産卸売販売「海老今」の3代目。 家業を継ぐ前は大手音楽レーベルや中国・上海の商業施設に関わる会社、国内のアウトレット運営会社で働くなど異色の経歴を持つ。

「塩釜仲卸市場ブリッジプロジェクト」のリーダー今野元博さん(43)は水産卸売販売「海老今」の3代目。 家業を継ぐ前は大手音楽レーベルや中国・上海の商業施設に関わる会社、国内のアウトレット運営会社で働くなど異色の経歴を持つ。

撮影:丸井汐里

今野さんの家業「海老今」の創業は1960年代。行商だった祖父が海老を商ったところから始まった。市場内に店を構えてからはエビやカニなどの甲殻類や貝類など、現在は400種以上の商品を取り扱う。すし店やホテルなど大手の取引先を擁し、バブル期には年商10億円を誇った。

今野さんは3兄弟の次男。勝ち気で負けず嫌いだった性格を祖父に見込まれ、いずれ後を継いでほしいと言われていたという。

「子どもの頃は家業には近づきがたい印象がありました。小・中学生の頃は、たまに家業の手伝いをしていましたが、当時の仲卸市場関係の人は怖くて。『ここでは働けないな』と感じていましたね」

大学卒業後は音楽業界へ。ビクターエンタテインメントでの制作アシスタントを経て、ポニーキャニオンに入社。CD宣伝の仕事を経て、楽曲のディレクションから販売戦略までトータルで取り仕切るディレクター職に就いた。

楽しく多忙な日々の中でも、家業のことは気にかけていた。自分の経験が異業種でも活かせるかもしれない。そんな思いに駆られ、水産業界に転職を図ろうとしたタイミングで東日本大震災を経験。意気込んだ転職は白紙になった。

「とにかく仕事をしなければ」と再び発起。自分の能力を活かせる業界を探し、中国・上海の商業施設でジャパンコンテンツフロアのプランニングに携わる事業で経験を積んだ。しかし、日中関係の悪化でこのプロジェクトも道を絶たれた。

販売促進の経験を買われ、2013年にはハイブランドが集まる北海道のアウトレット施設へ。販売促進マネージャーとして働き、売上アップに貢献する。ところが、インバウンド向けの展開に重きを置く新しい運営会社の方針に疑問を抱き、心に折り合いがつかない日々が続いた。

「インバウンド頼みのハイブランドだけでは、アウトレットは遅かれ早かれ立ち行かなくなる」。地域住民が求めるテナントや販売促進も必要だと、今野さんは考えていた。

「同じ頃、父から『戻って来ないか』と話がありました。元々戻るつもりで音楽レーベルを辞めていましたから、約束を守るなら今が最後の転職チャンスだと思い、家業に入ることを決めました」

異業種を渡り歩いた今野さんが「海老今」に入社したのは2017年のこと。震災から約7年の月日が経っていた。

そこで目にしたのは、以前に比べて活気が失われていた塩釜水産物仲卸市場の様子だった。

「地域に密着」でジリ貧からの脱却

エビやカニなどの甲殻類や貝類など現在は400種以上の商品を取り扱う。

エビやカニなどの甲殻類や貝類など現在は400種以上の商品を取り扱う。

提供:今野元博さん

当時、海老今の顧客は約150社。うち8割は市場で顔を合わせる直接取引だった。

「家業の売り上げは震災前から落ち始めていました。先代の父は売上目標を掲げていた訳ではなかった。いわゆる“ルート営業”に近い形で会社を運営していた。正直、緩いなと思っていました」

このままではジリ貧だ。そこで今野さんは販路拡大に着手。BtoB向けのネット販売を始めたところ、全国各地から注文が入った。ラーメン店やキッチンカーなど、大口の取引先以外にも需要があることが分かった。小規模な地元の飲食店にも営業し、顧客数は増加。いまや常連は200社を超えた。

「商業施設で働いていた頃から、地域に密着した売り方をしたいという思いがありました。塩釜の会社なのだから、地元の大小関係なくさまざまなお店にもうちを利用してもらえればと考えました」

2019年、先代が亡くなり今野さんが社長に就いた。程なくして、またもピンチがやってきた。新型コロナ禍だ。

売り上げは30%減と大きなダメージを受けた。経費削減と新規取引先を開拓し、なんとか利益を確保した。

補助金なども駆使して売り上げはコロナ禍前の90%となる年商2億円まで回復した。今後はバブル期以来の「年商10億円」が目標だ。

震災と後継者不足、失われていた卸売市場の活気

塩釜水産物仲卸市場内にある今野さんの店「海老今」。BtoB向けのネット販売でも販路拡大を拡大し、常連は200社を超えた。

塩釜水産物仲卸市場内にある今野さんの店「海老今」。BtoB向けのネット販売でも販路拡大を拡大し、常連は200社を超えた。

提供:今野元博さん

家業の立て直しには光明が見えた。ただ、店を構える仲卸市場は、そう簡単に回復しなかった。

市場の事業者には高齢者が多く、後継ぎ不足は慢性的な課題だった。1965年の開設当初、市場内には367店舗が並んでいた。2011年の震災発生時は147店舗。仲卸市場は奇跡的に津波の被害は免れたが、震災の影響で店を閉めた取引先は多かった。

海洋環境の変化で水揚げ減少も影響し、現在は87店舗にまで減った。2019年に実施したアンケートで、2025年以降も事業を継続する予定だと答えたのは50店舗で、全盛期の7分の1にとどまる。

危機感を覚えた今野さんは、2019年に市場の「未来を考える会」を立ち上げた。若手からベテランまで、市場で働く事業者が30人以上が集まり、市場存続のための改善点を話し合った。市場を運営する理事会にも提言書も提出した。

しかし、半年経っても具体的な行動にはつながらなかった。市場の運営が、業態ごとにつくられた4つの組合の合意に委ねられていたことも一因だった。

しがらみなく物事を実行できる組織をつくらなければ、何も変わらない。2020年5月、今野さんは意気投合した若手経営含む7人が中心となり新たな組織をつくった。それが「塩釜仲卸市場ブリッジプロジェクト」だ。

市場存続かけたプロジェクトは自治体も注目。異業種の経験を活かし、一大イベントも

プロジェクトの会議には塩釜市の水産担当者も参加。毎週5時間近く会議で話し合うという。

プロジェクトの会議には塩釜市の水産担当者も参加。毎週5時間近く会議で話し合うという。

提供:今野元博さん

市場存続のためには、新しい風を呼び込みたい。まず考えたのが、地元で暮らす一般のお客さんを呼び込む戦略だ。地元住民に親しまれなければ、市場の存続は不可能だと考えた。

市場全体で組合の垣根を越えたセール企画ができるよう調整に走った。魚の美味しさを知ってもらおうと、地場商品を中心に仲卸市場で使える割引券や全国共通すし券が当たる抽選会も開いた。音楽レーベルでの宣伝経験と商業施設での販促経験が活きたと、今野さんは振り返る。

「これまでのキャリアから学んだヒットの法則は、タイミング・お金・政治力の掛け合わせ方です。最初の企画は特に慎重に、かつ人が集まる様子がわかりやすく見えるイベントをやろうと考えました」

「市場を未来につなげようと頑張るメンバーにも、ワクワク感や成功体験を積ませたかった。熱量は数字を超えることがある。感覚的な部分も大事なんです」

折しも、明るい話題に乏しかったコロナ禍1年目の夏。地元のテレビ番組も一斉に取り上げ、入場制限がかかるほど多くの客が集まった。

今野さんたちの奮闘ぶりは行政も動かした。塩釜市の水産に関わる課の担当者もプロジェクトの会議に加わり、市も色々な形で援助。市長も視察に訪れ、プロジェクトは自治体も注目する存在に育った。

初回に20店舗でスタートした「市場deマルシェ」は、今では100店舗が出店する一大イベントに。

初回に20店舗でスタートした「市場deマルシェ」は、今では100店舗が出店する一大イベントに。

提供:今野元博さん

出店料さえ払えば市場に店を構えていない事業者も参加できるマルシェも開いた。水産物以外に野菜や果物、菓子、雑貨まで一緒に買える利便性で人気に。初回に20店舗でスタートした「市場deマルシェ」は、今では100店舗が出店する一大イベントになった。

人を集めるアイディアをさらに仕掛けた。2021年には、市場内のお店で買った魚介類でつくった自分好みの海鮮丼をSNSに投稿してもらう「どんぶり選手権」を開催。選手権は地元のマスコミに加え、You Tuberにも取り上げられた。

「情報が拡散されれば、多くの人にイベントを印象付けることができる。本、CM、口コミと、きっかけが積み重なることで、お客さんが足を運んでくれるんです。多くの人が市場と接点を持つために、情報の発信場所をいかに増やすかが大事だと、改めて感じました」

存続危機でも「何も決められない」市場の組織を改革

「塩釜水産物仲卸市場」の様子。

「塩釜水産物仲卸市場」の様子。

提供:今野元博さん

今野さんたちのプロジェクトは、単にお客さんを呼び込むだけにとどまらなかった。4つの組合が乱立し、機能不全に陥っていた卸売市場の運営方法の改革にもつながった。

市場の設立当初は300以上の店があったため、事業者たちは業態ごとに組合を結成。4組合が共同で市場を運営してきた。ところが店舗数が減っていくと、次第に課題が山積していった。

組合ごとの店舗数に偏りが生じ、空いた区画へのテナント誘致もままならない。市場運営のために出し合う組合費の負担は事業者に重くのしかかった。組合の垣根があると、何か問題があっても表面化するまでタイムラグがあり、意思決定にも時間がかかった。

市場自体の存続が危ぶまれる中で、何も決められないまま足並みが揃わない。今野さんたちのプロジェクトが始まるまで、そんな状況が続いていた。

「事業者の中には組合費が払えないため『来年には廃業するかも』という話がいくつも出ていたんです。組合費の負担で店が減り、残った事業者はまた負担が増える悪循環でした」

組合を1つにしなければ、市場は存続できない。市場の垣根を超えたプロジェクトの実績も追い風となり、2022年6月に組合の合併が実現した。

新組合の幹部にはプロジェクトのメンバーが就任。今野さんは副会長に就任し、理事の平均年齢は60代後半から50代に若返った。組合の合理化で経費も削減でき、意思決定のプロセスもシンプルに。物事が決まるまでのスピードは格段に上がった。

廃業した店舗の空き区画の活用にも乗り出した。まず、一般客が多く訪れる土日に海産物以外のテナントを週ごとに誘致。1日単位でも出店できるような仕組みをつくった。

野菜から多肉植物、さらにはインターネット販売のみの雑貨やパン屋まで。市場側はテナント収入を得られ、テナント側も低リスクで出店できると好評だった。

組合の合併タイミングで水産業者以外のテナント常設化も計画した。出店者を集めるため、今野さん自らスーツ姿で営業に奔走。半年で約30店舗と交渉し、現在までに飲食店や精肉店など8店舗が出店を果たした。「The Seven Street」と名付けられたこの区画は、2023年の夏にさらに拡大する予定だ。

M&Aで事業承継、テナント誘致で価値高める

廃業店舗があった空き区画を利用した「The Seven Street」では新規の出店も。今年の夏にはさらに規模を広げる予定だ。

廃業店舗があった空き区画を利用した「The Seven Street」では新規の出店も。今年の夏にはさらに規模を広げる予定だ。

提供:今野元博さん

地元の人々に愛される場所になることを目指した今野さんたちのプロジェクトは、プライドやしがらみに捉われない組織づくりにつながり、存続の危機に瀕していた卸売市場を大きく変えた。仲卸市場の7人が中心となり始まったプロジェクトも、仲卸市場外からもメンバーが集まり、今は精鋭の十数名が活動している。

「毎週、5時間ぐらい会議で話し合い、市場に人を呼ぶアイディアを出しあったりしています。雑談を交えた何気ない会話の中から良いアイデアが生まれる。立場にとらわれず、メンバーが自分らしさを出しやすい環境作りが大切なんです」

店舗の後継者問題や建物の老朽化など課題はまだまだあるが、今後はM&Aで事業承継ができる取り組みを進め、さらなるテナント誘致で卸売市場の価値を高めていく見通しを立てている。

音楽業界、中国での海外経験、北海道でのアウトレットの運営、そして震災と家業の継承……。全て一筋縄ではいかなかったが、全ての経験があったからこそ今がある。

今野さんはキーパーソンとして、これからも地元・塩釜の未来を後世につなぐ橋をかけ続ける。

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